一連の不祥事をきっかけに第3者機関による「警察刷新会議」が動きだした。公安委員会とのあいまいな関係に切り込み、人々が待ち望む「頼れるお巡りさんたち」が復活するのか。国民の信頼を完全に失った警察の再生へ、会議の今後に強く期待したい。
警察とはつくづく奇妙な組織だ。警視正以上の階級が国家公務員、警視以下は地方公務員と、ひとつの組織の中で身分が混在している。ちなみに県警の警視正以上は、本部の本部長、数人の部長と佐賀署長だけ。また本部長や警務部長らは警察庁から派遣される。県内の警察官は地元では逆立ちしたって本部長にはなれない。県警のトップ層はすべて国家公務員で、その人事権は警察庁が握っている。
■警察庁の下部機関
県警のことを自治体警察という人もいるが、それは間違い。「特高」に代表される戦前の警察に代わり1948年、革命的に誕生した自治体警察はその後わずか6年で消滅した。同時に国家地方警察が各都道府県に配置されたが、自治体警察は、その行政管理に服することはないと、明確に規定された。ここが現在と全く異なる点。現行の道府県警(東京都は警視庁)は、予算のほとんどを自治体におんぶされながら、実際には警察庁の下部機関でしかない。
その上、警察は「警察礼式」という軍隊並みの作法が厳然と残る階級社会。だから何かあるたびに、みんなが上を仰ぐ。先日の機動隊巡査部長のわいせつ行為発表などは、それがもろに出た。記者会見に臨んだ警務部長でさえ、報道側から質問が出るたびに、会見場の外にいる本部長とメモをやりとりし、やっと回答するありさま。6月には情報公開条例案を提案する県警だが、こんなふうではその中身が大いに懸念される。
本来「長」のつく立場は常に決断を迫られ、その立場に応じて責任を負う。上ばかり見るのは自らの責任回避にほかならず、現場の士気まで奪ってしまう。県警が殺人などの重要事件を未解決のまま数多く抱えているのも、原因はこのあたりにあるかもしれない。
■防犯が治安の原点
もう1つの問題は、警察自身の防犯意識が低下したとしか思えないケースが相次いでいる点。埼玉のストーカー殺人事件では、上尾署が被害者の訴えに全く耳を貸さず、被害者ばかりか重要参考人まで死なせた。新潟の少女監禁でも、被疑者の母親が柏署に相談したのにつれない扱い。県内では鹿島署が保険金殺人の両被告による強盗事件をなかったことにしてしまった。
防犯こそ、日本警察が誇る原点のはず。検挙率は落ちていないというが、一一〇番しても動かず、印象の強い事件が未解決では説得力はない。治安のよさは、そこに暮らす人々が肌で実感するものだ。
警察は、司法の「番人」として、住民の最も近いところにいる。何かあったら真っ先に相談できる存在。本紙のひろば欄など編集局に寄せられた投書では、県民が本当に求めているのは、いつも頼もしいお巡りさんがいる交番だ。
刷新会議は、一般の意見も聞くためEメールも受け付けるという。もはや不要の機動隊を廃し交番を増やす案でも送ってみよう。
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