1999年9月11日土曜日

論説・O157判決 争点のPL法、肩すかし

大阪府堺市のO157集団食中毒訴訟の判決は、「学校給食には極めて高い安全性が求められるのに、除菌処理に過失があった」と断じ、市側に亡くなった女児の両親に賠償金4500万円を支払うよう命じた。

■判例にためらい?
3年前の96年、9500人以上の児童が感染、うち3人が死亡した異例の食中毒。また、学校給食をめぐり、市は製造業者だとする原告側と、営利事業ではないとする市側が真っ向から対立。自治体の責任を、製造物責任法(PL法)で初めて問う訴訟に、裁判所の判断が注目されていた。
判決によっては、同法に訴える訴訟が一気に増えることも予想されたが、裁判官は国家賠償法上の過失を認めただけで、PL法の適用には触れずじまい。判例を作るのをためらったわけでもあるまいが、肩すかしの感は否めない。
PL法は欠陥商品などでの被害者保護を目的に95年に施行された。それ以前は、メーカーの責任を問うには民法の不法行為で争うしかなく、このため製造責任を争った訴訟は戦後わずか160件。森永ヒ素ミルクやサリドマイド事件は、企業の責任を問えぬままに終わっている。
米国では同法をめぐって年間2万件近い訴訟が発生。法成立後は米国同様、訴訟のあらしが吹き荒れるとの懸念もあったが、弁護士の数や費用の差もあるのか、今のところそうした事態は起きていない。
ところで堺市の事件の特色は、1万人近い児童が感染するという食中毒史上まれにみる規模で、しかも原因が栄養価はもとより、安全であるはずの給食だったという点だ。市の外郭団体、学校給食会の常務理事が自殺してもいる。
同市の児童たちに、食中毒と思われる症状が最初に表れたのは96年7月8日。4日後の12日には、市立病院に多数の患者が運び込まれたが、市教委は夏風邪と判断、食材の確保をせず、後に尾を引くことになった。
以後、日を追うごとに発症者が急増。事態を重視した厚生省は、国立予防衛生研究所の専門家らを堺市に派遣。同時に対策本部や市、府との連絡調整会議などを矢継ぎ早に設置、原因究明や2次感染防止に乗り出した。

■かたくなな厚生省
発生からちょうど1カ月目の8月7日には「原因食材はカイワレ大根」と発表。しかし大阪府、農水省、そして厚生省自身の調査でもカイワレからも菌の検出は今もって報告されていない。市教委の判断ミスで、初動態勢が遅れたとはいえ、国を代表する医学の専門家たちが、いまだに原因を特定できないのは、なんとも寒々しい限り。
当時厚生大臣だった菅氏がカイワレ業界の猛反発をかわすため、自ら食べるパフォーマンスを見せたものの、同省は原因食材説をがんとして変えない。それどころか、二年後に横浜市などで発生したO157食中毒の原因も、米国産カイワレと発表。なぜそこまでこの食材が原因だと固執するのか、不思議だ。
この食中毒事件後、給食にトラウマが残り、今もこれを拒む児童が176人もいるという。まな娘を亡くしたご両親の無念の思いは勝訴しても晴れない。

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